弘妙寺の開山、開院は土御門天皇の御世の時代、元久二年(1205年)まで遡ります。 もともとは平家の浪士・開阿弥が修験者となってこの地を訪れ、 真言の修法を行う寺として建立、中道山・旭泉寺として開院しました。 |
日蓮宗への改宗は永享二年(1430年)。身延山九世・成就院日学上人が法華道を通りこの地に遊ばされ、時の宝弥陀を教化し、名を本学院日賢とされ、日蓮宗へと改宗なされました。文安元年(1444年)には現在の地に移り、本学山・弘妙寺と改称し、現在に至っています。 |
本堂全景 |
御親筆の御本尊 弘妙寺に残る、日蓮大聖人御親筆と伝えられる御本尊です。 もともと日蓮大聖人から身延二祖・日向上人以来、歴代上人の御本尊があったとのことですが、 昭和三十二年(1975年)の火災により焼失してしまいました。しかしながら不幸中の幸いというべきか、 三分の一が焼失したものの、残る三分の二は表装し、現在も当寺に保管されています。 |
日蓮大聖人御親筆と伝えられる御本尊 |
鵜飼勘助の経石 鵜飼勘助の亡霊得度・・・・・・身延山の麓、石和村(現山梨郡石和市)の石和川に、殺生の罪で死罪となった鵜飼勘助の霊が夜毎、怪火とともに現れ、人々を悩ませていました。宗祖・日蓮大聖人は石に経を書き石和川に投じることで、その霊魂を救ったとされています。 以来、この地に怪火と霊が現れることはなくなりました。これが有名な「鵜飼勘助の亡霊得度」と呼ばれる日蓮大聖人の逸話です。さて当寺は、その逸話に現れる経石が納められている寺としても知られています。 |
鵜飼勘助の経石 |